JAZZおぼえがき

会社員、主婦、ジャズ愛好家の三足のわらじです。趣味でジャズベースを弾いています。

指摘と納得

 
この歳になると、指摘されることってもうほとんどない。記憶にある限りでは中学の剣道部の顧問くらいか。
でも今思い返してみると、私の実力と指導の内容があまりにも乖離しすぎていた気がする。そしてそれをカバーするための根性論、 精神論、ひたすらの反復練習っていう感じだったような気も……………(笑) 部活の練習は怖かったし辛かった。まぁ、踏ん張ることができるよ うになったのはこのときの体験のおかげかなとは思うけど。。

新人の頃は会社で先輩が色々教えてくれたけど、とてもお世話になったことは事実である一方、相手も若かったので気分で言っている ことが変わることも多く、納得できなかったことが多かった。

例外的に、今では唯一、夫からはたまに指摘がありますが、大体お互いイラッとしているときなのであまり建設的にならない(笑)( これは反省…)

 

 

レッスンではあれがダメこれがダメと言われるし、ちょっと先生の言い方もぶっきらぼうな感じはあるのですが、全然辛くない。 こんなの初めて!でした。言われることの大半に納得感があった。ないものは、まだ自 分の理解/体感が及んでいない感じかな。

不必要に人と比べない、本筋から逸れた人格否定をしない、教える側のコンディションで態度を変えない、良いところを見つける、 とか、大事だけど難しいよ。私も会社で人に教えることが多くなってきたから気をつけているけど、自分に余裕がないとついキツくな ってしまって本当に反省することが多い。

まぁ、教えを請う側がやる気があることが大前提ですけれども…。

 

 

 

会社に、某競技で日本一の経験もあり、元国体選手、現とあるチー ムのコーチをされている先輩がいます。その人がたまに「イメージ のできることっていうのはうまくできるものだし、イメージができないことはうまくできない」と言っているのですが、 私もそれに本当に同感です。

今私がレッスンで強い納得感を得られているのは、このイメージに関わることが多分に理由となっている気がする。


自分は今までベースの音にイメージがなかったんだ!!!と気づいた。


音を良くしたい、うまくなりたいという気持ちはあったけれど、「これだ!」と思う具体的な目標とする音に出会えていませんでした 。
元々、ベースの生音ってよくわからなかったんです。私の好きなバップ期の録音ってやはりベースそのものの生の音とは程遠く、しか し現代の録音を聞いても今度はベースの音がわざとらしい気がしてしまって、、

生音ライブやセッションも聴いたことあるけど、結局客席視点での 音でしかないし、ドラムや管楽器、ピアノも鳴っているから。


レッスンでは先生の背後から音聴かせてもらったりした。奏者視点ですね!
あとは向き合って30cmくらいのところに表板がある状態で聴か せてもらったけど、あぁ語彙力がないんだけど、、、、素晴らしか ったっす。

 

やっぱし、どんだけアンプ通しても、弾いてる自分はコントラバスの横に立って自分の生音を聴いているわけで。 そのイメージが今までなかったんだな。今、もうレッスンから2日 経っているけど、先生の音思い返しても今まだ涙出る~。


話が逸れたけど、レッスンでは、強い明確なイメージを持つことができたこと、そうするための身体の使い方やコツが一つ一つ強烈な 腹落ちとなって溜まっていったわけです。
だから指摘されても、むしろ気持ち良かった。「そうそう!そこが知りたかったんですよ!」みたいな感じ。


あぁ本当にレッスンは気持ちよかった。でもそのうち、私のつたない理解はもう一杯になってしまうのかな。こわいな。そうなりたく ないよぉ。感性を急激に育てたい。。。


あぁ、でもまだ体感として理解できてないけどなんだか気になることがまだ一つあった!

先生が楽器弾いてるとき、ものすごく呼吸しているのが気になった 。本来ベースは息は関係ないはずなんだけど。でも、なんかわかる 気がする。
さいころに通ってたピアノ教室で、旋律に合わせてすぅはぁするのは大事だよ~って先生が言ってたことをまだ覚えている!ピアノ だって息は関係ないんだけどね。
ベースが自分の身体の延長のように感じられることができるようになったとき、私もすぅはぁできるのかなぁ~。

 


自己判断ですが、レッスン当日の夜から自分の音が変化した…!そんな魔法のようなことってあっていいんだろうか。ワクワクします 。